Sugiyama-san
杉山卓さん のこと 2013-8-16
GE横河メディカルシステム の 初代社長 の 杉山さん が ご逝去になって 三ヶ月に なろうとしている。
私が 杉山さんに 親しくしていただいたのは 四十数年前、通信学会 ( 現在の 電子情報通信学会 ) の 入会の 推薦人に なっていただいた 頃に さかのぼる。
当時、杉山さんは 測定の 特注システムの 設計の 課長 で、私は 製造で 特注品を 担当していた。
私を 息子のように可愛がってくださった 係長の 高橋善三さん によると、私を 評して ファイトマン と  言われたそうで、恐縮した 思い出が ある。
それと、同郷の 先輩で 親しくしてもらっていた 常務の 有馬敏彦さん が、杉山さん は "いい男だ" と  口にされた。 これは、鹿児島 では 最高の 褒め言葉 である。
そんな 状況だったので、私は 杉山さんを 身近に 感じ、ご迷惑だったに 違いないが、推薦を 押付けて  しまったのであった。
以来 ついこの間 まで、何かにつけ 目をかけていただき、心より 感謝しないでは おられません。
YMS に 移籍する 時も、杉山さんに "家内に 移るよと 伝えました" と 報告したことです。
私が 海外に 仕事で 出かける 際は、"英語は だいじょうぶか ?" と まさに 慈父の 眼差しでした。
7年間の 社内報の "今月のことば" は 私たちの 先を照らし 自身を 振り返えさせる 暖かいもの でした。

退社し 鹿児島に 帰郷してからも、"科学と美が近づく世界へ"、など 四冊の 書籍を 送って  いただき、大水害の際は 安否確認の メールを いただいたことでした。
特に 心に残るのは、80歳以上 と ご高齢にもかかわらず、私が メールを 差し上げると 必ず 返事を  くださったことで、私も これから 果たさねばならない ことと 考えています。
杉山さんの お身体が 悪そうなのは この前の OB 会 で 気付いていましたが、遠く 離れていて、お見舞いにも  行けませんでした。
今は 杉山さん へ 感謝の 気持ちを 捧げる だけです。