![]() |
1970年7月栃木県生まれ、茨城大学工学部卒業後、日本原子力研究所などを経て2001年に東京大学大学院特任助手に就任 2002年5月にファイル交換ソフト Winny (ウィニー) を 公開したが、2年後に 著作権法違反幇助の容疑で逮捕された 2006年12月13日に京都地方裁判所で有罪 判決を受け、即日控訴 |
2006 年12 月13 日、私は京都地方裁判所で著作権法違反を幇助した罪で罰金150 万円の有罪判決を受けました。
私が開発したファイル交換ソフト「Winny(ウィニー)」を使って、ゲームソフトや映画の違法コピーをしていた人が逮捕されました。
著作権侵害を容易にしていたのを認識しながら、ウィニーの開発を続け、ホームページで最新版を公開してきた。
そのことが、悪用者の犯行を幇助した罪に当たると判断されたわけです。
インターネットの否定
ウィニーを巡っては、情報漏洩騒動が相次ぎ社会問題となりました。
海上自衛隊の隊員のパソコンから国家機密を含むデータが漏れたり、企業からも顧客情報の流出が相次いだりしました。
世間的には、ウィニーそのものがコンピューターウイルスと勘違いされているのかもしれません。
ウィニーは、インターネットを通じてパソコンの中にあるファイルを交換するソフトです。
サーバーを介さずに、直接パソコン同士でデータをやり取りするPtoP(ピア・ツー・ピア)という技術が使われています。
匿名性の高さに加え、データ交換の効率が高いことが支持され、利用者は数十万人にまで増えました。
そもそも、情報漏洩はウィニーのせいで起きるのではありません。
外に出してはいけない情報を、自宅などに持ち出した時点で情報は漏洩していると言えます。
たまたま自宅のパソコンにウィニーをインストールしてあり、そのパソコンがウイルスに感染していた場合に情報漏洩が発見しやすくなる。
ただ、それだけの違いなのです。
だから、ウィニーによる情報漏洩はメールで情報が外部に流れてしまうのと全然変わりません。
やろうと思えば、機密情報をコピーして物理的に運び出すことだってできる。
ですから、情報漏洩問題とウィニーは切り離して考えなくてはいけないのです。
それなのに、現実は全部一緒くたにされてしまっています。
著作権侵害の幇助についても、議論がゴッチャになってしまっています。
実態として、ウィニーを使って音楽や動画といった他人に著作権があるデータのやり取りが行われていました。
それで検察は、ウィニーは著作権侵害の道具なんだから、私が幇助したというストーリーで攻めてきたのです。
そんなのめちゃくちゃですよ。
包丁という道具は料理に使うけれど、場合によっては殺人に使われることもある。
それで包丁を開発した人やメーカーが、殺人幇助で罰せられることがあったでしょうか。
そのように反論すると、包丁と違ってウィニーは大半の人が正しく使っていないという声が返ってきます。
だったら、高速道路はどうでしょうか。
実態として、大半の車が制限速度を守っていません。
ウィニーの例に照らしてみれば、高速道路が道路交通法違反を幇助していることになる。
それでも、道路公団のトップや国土交通大臣が逮捕されることはありません。
技術や道具は、使う人によって毒にもなれば薬にもなります。
それなのに、ウィニーの場合は開発者がかなりの数の著作権侵害を認容していたから、幇助に当たると言うのです。
今回の法理が正しいとすれば、インターネットそのものの否定につながってしまいます。
ネットを悪用している人はいくらでもいるのですから。
私に言わせれば、「ウィニーを使ってアダルト画像取り放題」という類の記事を載せていた雑誌の方が問題だと思います。
明らかに著作権侵害をあおっているのに、関係者は責任を取らされていません。
つまり、ウィニーが問題を起こしたわけではなく、元からある問題がより見えやすくなったのだと私は思います。
インターネット時代におけるデジタルコンテンツの著作権をどのように管理していくのか。
ウィニーという強力なツールが現れたことによって、問題が顕在化してきたのです。
今回の判決では、私が「著作権侵害の状態をことさらに生じさせることを企図していたわけではない」ことははっきりと認められています。
それなのに有罪となり、罰金刑が科せられてしまった。
金額は大きくないかもしれませんが、ソフト開発に与える影響は小さくありません。
幇助に認定される範囲があまりにも広すぎるため、これでは怖くて誰も何も開発できなくなってしまいます。
日本はソフト開発後進国に
だからこそ、即日控訴しました。
裁判を終わらせて、ウィニーの改良に取りかかることも考えました。
でも、今回の判決を私が受け入れてしまうと、日本のソフト開発に与える影響があまりにも大きい。
だから、裁判で負けるわけにはいかないのです。
これからの情報化社会において、ソフト開発の力は国力を左右することになってきます。
それなのにプログラマーが萎縮してしまえば、日本はソフト開発の後進国になってしまいます。
実は、海外の大学や企業から「一緒にやらないか」という声は複数来ています。
でも、図らずもウィニーの問題がここまで大きくなってしまった。
ここで私が逃げ出したらあまりに無責任です。
特に裁判に関しては、無罪を勝ち取るまで頑張ることが私の使命だと思っています。
私がファイル交換ソフトの開発を試みたのは、情報伝達の技術として将来重要になるだろうと思ったからです。
もともと詳しい分野ではなかったので、今のうちに研究しておけば自分にも将来役に立つとも考えました。
匿名性が悪いのではない
既に、ファイル交換ソフトとしては匿名性の高い「Freenet(フリーネット)」が注目を集めていました。
すごい技術があるもんだと感心していましたが、フリーネットはデータ交換の効率が高くない。
そこで、匿名性と効率性の両方を兼ね備えたソフトを開発してみようと決意しました。 2002 年の4月のことです。
1カ月ほどで評価版のソフトが開発できたので、ウィニーと名づけて自分のホームページに公開しました。
金もうけをしてやろうなんて考えもしなかったので、ソフトは無償で提供してきました。
公開したのも、自分と同じソフト開発者にきちんと動くかどうか検証してもらうためでした。
開発の目的はあくまでも自分の知的好奇心を満たすためであって、ウィニーは実用向きのソフトではありません。
その後ユーザーの声などを参考に改良を重ね、最終的にウィニーの利用者は数十万人にまで拡大しました。
ここまで広まるなんて、私にとっては全くの想定外でした。
ウィニーは匿名性が高いので、著作権侵害を助長する恐れがあると度々批判を受けました。
匿名性が保たれていれば、他人の著作物を複製しても自分がやったと分かりにくい。
そのため、ウィニーを使えば著作権を侵害しても警察に捕まらないと勘違いする人も出てきました。
もちろん、悪用するために匿名性を高めたのではありません。
匿名性は、暗号技術などと同じくユーザーの保護に役立つ技術です。
通信の秘密は、憲法にも保障されています。
問題は匿名性ではなく、匿名性の高さを悪用しようと考える人です。
著作権が守られなければならないのは、言うまでもありません。
私自身は、情報やコンテンツはタダで手に入れるというネットの文化はおかしいと感じてきました。
それなのに検察は「金子は情報はタダで入手するのが当たり前という独自の観点を持つ」なんてデタラメなことを言う。
事実誤認というより曲解していますよ。
実際、私は「情報はタダで手に入るのが当たり前」と考えていることこそ問題だと、繰り返し述べてきました。
無料で提供されるフリーソフトだって、お金が取れるのだったらきちんと課金した方がいいというのが私の考えです。
プログラミングは自己表現
ウィニーをはじめファイル交換ソフトは、将来のネット社会で不可欠なツールになっていると思います。
著作権法上の問題を抱えてはいるものの、新しい技術には危険がつき物です。
自動車だって黎明(れいめい)期は事故ばかり起こして危険極まりない代物だったはずです。
それでも、トラブルを1つずつ解決していき、今や自動車のない世界は考えられなくなりました。
10年後や20年後には、ファイル交換ソフトもそうなっていると信じています。
残念ながら、日本はソフト開発に不利な環境にあると感じています。
日本発のソフトは数も少なく、また独自性の高いものも多くはありません。
原因の1つは、チャレンジ精神がないからだと私は考えます。
例えば、米動画配信サイト「YouTube(ユーチューブ)」は、ユーザーがテレビ番組などの著作物を無断で投稿するというトラブルに見舞われていました。
それでも、ビジネス上発展があると見込まれたので、米グーグルは巨額資金で買収しました。
新しい技術やサービスは、まずは利点を伸ばすことが先決ではないでしょうか。
試してみてどうしてもダメだったら規制するなり、禁止すればよいのです。
ウィニーのように一度トラブルに見舞われると、日本ではもうダメだとレッテルが張られてしまう。
国全体がそういう雰囲気であれば、新しいモノがなかなか生まれなくなってしまうと懸念しています。
ソフト開発が難しいもう1つの原因は、人を大勢集めても優れたソフトが開発できるわけではないということです。
人数が増えるほど、まとまらなくて何も開発が進まないことだってある。
日本人は平均的にはレベルが高いのですが、飛び抜けて優秀な人が少ないと感じています。
私は1人で集中して開発した方がうまくいくタイプです。
ウィニーは、パッと思いついたアイデアを形にしたものです。
ずっと頭の中で考えていて、いざパソコンの前に座った時にはプログラムはすべて組み終えていました。
頭の中にあるものを、アウトプットしただけです。
思い返せば、プログラミングは小学生の頃からやってきました。
家にパソコンがなかった頃は、電器店の店頭にあるパソコンで友人から頼まれてゲームを作っていました。
店頭だから保存できないので、次の日はまた違うゲームを作っている。 そんなパターンの繰り返しでした。
私にとって、プログラミングは仕事というよりは趣味であり、自己表現の場でもあります。
自分が思いついたことをプログラムという形で表に出して、周囲の評価を仰ぐのです。
その意味で、自分はプログラマーというよりクリエーターに近いと思っています。