昭和50年頃 からだろう、社会保障と 年金の おかげで、多くの人が 日常に 生活苦を 感じないで済むように なった。
私の 子供時代は、現在の 発展途上国に 見られるような 貧困が あり、それから 学ばされてきた。
現在の 働いていない 家庭の主婦 は どんな 金銭感覚を 持っているのだろう。
私は 医療装置メーカーの 技術者 だったので、会社を 儲けさせ、その 一部を 還元してもらっている という 意識があった。
主婦は 家事労働に対する 報酬として 夫の 年金などを 受取るのか、それとも 単に 頼っているだけなのか。
私が 子供の 頃、家は 食料品店を やり 母が 面倒を みて、父は トラックを 所有して 金属回収業と 運搬業を 営んでいた。
戦後の 混沌から まだ 抜けきらない 状況で、多くの 友達が 食に欠く のに 私たち 子供 は 飢えることは 無かった。
でも 鹿児島信用金庫の Iさんが 毎日 見えて、返済なのか 積立てなのか、売上げの 中から お金を 出していた。
掛取り と言って 収入の無い 販売も 多く あったわけで、母は 心労が 絶えなかった はずだ。
私も 中学生の 頃、近くの O家に 集金に 行かされた。 そこは 働き手の無い 家で、子供なら 相手も 断り易いと 考えたの だろうか。
我が家も 決して 裕福なわけではなく、12月31日の 夜更けに なって ようやく、母に 運動靴を 買ってもらったり した。
その 食料品店を 廃業し、二人で 造園業を 始める 時、父は 沢山あった 掛取り帳 を 燃やした そうである。
妹に よると、子供たちが 後で、あそこは 家に 借金があるのに 返さないで 平気でいる と 恨まないようにとの 配慮だった。
父は 事業に 失敗し、お金の 大切さ・大事さ を 痛感していた はずだが、それ以上の ことを 考えていたと 今になって 感謝する。